Voyage de VARNAもうすぐ小雪です。今年はなんだか暖冬予想らしいのですが、都内はもう随分寒いです。

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「六道の月」と「あやかしの朧雲」話 07:23
過去作を振り返りながら、前を見据えようというこの企画。

六道の月は実はVARNAの作品中
最多の3回再演をした作品でもあります。

辛木藤右衛門というへなちょこ侍が「橘」という妖刀を拾い
その妖刀には「野神左近」という鬼と畏れられた修羅が
宿っていた。右と左の宿命を背負った正反対の二人。

と、設定だけ書くと本当に何処にでもある話なのですが

実はこの六道の月は最初は「二人芝居」でした。

しかもそれは「彩の骸(さいのむくろ)」というお芝居に
登場した「橘」という男が私の中で、魅力的なキャラクターで
あった事から「外伝的」に作られた作品でした。

「橘」という刀を作った刀匠の名前は「橘」というのですが
(つまり自分の名前を自分の刀に付けた訳です)

これも二人芝居バージョンでは「橘」と言う名の男でした。

この二人芝居に大幅に脚色し、加筆修正したのが

「真説・六道の月」

でした。ここには「壬生晴十郎」という侍が追加されたり
橘という刀匠は双子の姉妹になり「橘甲菜」「橘乙樹」と

「康庵」という尼が出てきたりと、それはもう
既に「同じ話なのか?」という程、加筆修正しました。

しかし更にそれに加筆修正を加えタイトルも元に戻し

「六道の月」

として再演を行いました。これには更に野神左近の過去が
描かれたり、没になった坊主がいたり、もしも再演をするのなら
更に加筆修正する事でしょう。



劇作家として加筆修正する事、脚色し「違う話」にする事は
私は私自身の「進化」だと考えています。ですからいつも
「過去作のままが良かった」「新作の方が良かった」と
言われる時に「どちらも嬉しいです」

また今度、加筆修正する時に「過去作の良さ」と「新作の良さ」を
天秤にかける事が出来るからです。



そしていつも言われる事がもう一つあります。


伏線の張り方についてです。



例えばこの「六道の月」は「あやかしの朧雲」の「続編」なのですが、
六道の月の主人公ではない方の「野神左近」が「あやかしの朧雲」の主人公です。

それは最初から考えていたのですか?と聞かれます。

私は「いいえ」と答えます。


キャラクターに命を与えてくると自然にキャラクターに人生が刻まれ
同時に時間が進行し、ここまで彼が歩んできた道筋が見えるのです。

悪には悪の、鬼には鬼の理由と通りというものがあるのです。

台詞を書く度に「何故、そんな事を言うようになったのか?」
「何故、その人生を選んだのか?」もっと単純に「何故強いのか?」など

思う事があるのです。

鬼と畏れられた修羅「野神左近」が「鬼」となった理由。
六道の月のラストを執筆しながら、その台詞の中に
「あ、この人、この台詞を言うのは人生で二回目な気がする」

という台詞が出てきたのです。同時にその光景も。

千人斬りを果たし、死体の山の上でまるで、咆哮のように泣いている「鬼」
その傍らに一人の女性の死体。それが誰なのか?私自身が知りたく
なったのです。

辛木藤右衛門も外伝的に生まれ
野上左近も外伝的に掘り下げられたキャラクターなのです。

ちなみに左近の側で死んでいたのは「咲夜(さくや)」という芸者でした
「木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)」という日本神話に出てくる「桜」の
語源となった神の名からとった「源氏名」でした。


あやかしの朧雲は近江と京の都を舞台に繰り広げられる作品で
「上七軒」という日本最古の「花街」から物語が始まります。


最後の最後に何故、左近は千人を相手にしなければならなかったのか
どうして咲夜は死んでいるのか?そして何故「橘」の中に存在し
「六道の月」に登場するのか。



もうすぐVARNAのウェブサイトで通販が復活するとの話があります。
この2作品は台本もDVDもありますので、是非、興味のある方は
お買い求め下さい。


ちなみに、左近が千人斬りをする場所は京都御所なのですが


京都御所には


「左近の桜、右近の橘」という


天皇から見て左手に桜、右手に橘が植えられた場所があります。


左近は「咲夜」と共に
藤右衛門は「橘」背負い生きて行く


これも伏線は考えられたのですか?とよく聞かれました。


「いいえ、偶然でした。私も後から聞いてびっくりしたくらいです」


これが本当なのです。私は作家であるという感覚より
発掘家であるような気がします。


仏像の彫り師が既に、その木に宿る仏が見えると言ったり
キャンバスは同じでも描かれる絵は既に決まっていたり
そんな感覚によく似ています。

この二つの芝居は丁度、右と左、藤右衛門と左近の交わらぬ二人が
それぞれの人生をぶつけあう話なのです。






よろしければ是非、夏までにはストアも再開出来るかと。


次回は「OCTET」の話でも書こうと思います。





| 乾裕子 | comments(0) | - | posted by 乾裕子 - -
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